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アヤラ シャンパーニュとは?その特徴と歴史

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アヤラは1860年にアイ村に設立されたメゾンです。

規模的にはあまり大きいメゾンではなく、自社畑は30haほどですが、そのほとんどが100%のグランクリュです。

シャンパーニュは甘口が主流であった時代(19世紀後半)から、英国に辛口のシャンパーニュを供給し、高い人気を得ていました。

ブリュットタイプの英国での爆発的な人気を確信し、人気が本格化する前にドライシャンパーニュに切り替えたのです。

このメゾンは一言で言って手堅い経営姿勢が特徴で、そのため派手なコマーシャルもしないし、品質以上に大きく見せようというところが見当たりません。

その意味では通人好みのシャンパーニュといえるでしょう。

 

後述しますが、アヤラはアイ村(AY)にあるからアヤラなのではなくて、創業者の名前がアヤラだったことが名前の由来です。

年間生産量は平均で40万本ですが、ストックは180万本におよび、40%は国内消費で60%が海外輸出にあてられています。

イギリスで人気のメゾンですが、日本での知名度は低く、レストランやホテルなどでも積極的にサービスされていないので知らないワインファンも多いかもしれません。

しかし、きれいな泡立ちと軽快ですっきりとした飲み口はアペリティフにも最適で、もし見かけた際はぜひお試しいただきたいシャンパーニュとして強くお勧めします。

 

アヤラは他のメゾンと同様、1911年にブドウ栽培の農民の暴動を受けます。

メゾンとともにセラーも壊され、そして1913年に再建されます。

この暴動は、経済主義に走った当時のメーカーが、シャンパーニュ地方以外の地域からブドウを安く買うやり方に農民が反発したものでした。

 

アヤラは自分のところはそんな悪いことはしていないと無防備でいたのですが、血迷った人は暴れられれば何でもいいという群集心理を理解していませんでした。

無防備だったら襲われないという理屈は通用しないのか、とばっちりを受けて壊滅させられたという笑えないエピソードがあります。

このブドウ栽培農家の暴動は、シャンパーニュ地方の「常に需要が供給を上回る超売り手市場」が生んだ悲劇といえます。
 
20世紀初頭にはすでに人気化したシャンパンは、これに目を付けた投機筋が目ざとく入り込み、当然のことながら目先の利益を追求する経営姿勢がそこかしこで見受けられるようになります。
 
こうなると法整備が整っていないことをいいことにシャンパーニュ地方以外の安酒を仕入れて何食わぬ顔でシャンパーニュとして売り出すところが出てくるのです。
 
これに嫌気がさした地元の生産者は悪徳業者の根絶を望んで政府に陳情を入れ、1908年にこれを規制する法案が成立するのです。
 
ところが折悪しく翌年と翌々年の1909年と1910年は凶作で、せっかく成立した法案はうまく機能しません。
 
また、1908年の法案ではシャンパーニュ地方の南端のオーブ県はシャンパーニュと名乗ることを禁止されたのですが、これがオーブ県の生産者は良く思わなかったのです。
 
そして1911年にこれを撤回する要望書を同県の代議士が国会に提出。これが引き金となって対立する生産者のストレスは極限に達するのです。
 
怒り狂ったブドウ生産者は決起して各メーカーの酒庫や事務所を襲い荒れ狂うのです。
 
鎮圧には軍隊まで出動するほどだったのですが、これにとばっちりを受けたのがアヤラやドゥーツだったのです。
 
これらのメゾンはもともとまがい物には手を出さずに生産者保護に努めていたのですが、怒り狂った群集(多くは酔っぱらった)は飛び火して対岸の火事とはならなかったのです。

 

アヤラ シャンパーニュ

小ぶりな高品質メゾン

第二次世界大戦以前より、英国王室とスペイン王室の御用達であある格式高いメゾンです。

スタンダードキュヴェはブリュット マジュールで控えめなドサージュを特徴とした、フレッシュでエレガントなスタイルです。

平均3年の瓶内熟成を経ています。

その他には、ブラン ド ブラン ミレジムや糖分無添加のブリュット ナチュールもリリースしています。

そしてアヤラの誇るプレステージ シャンパーニュはペルル ダヤラです。

「アヤラの真珠」と名付けられたそのシャンパーニュはまさにメゾンの宝石と呼べるものです。

評論家や世界中のシャンパーニュ愛好家に評価されています。

 

 

ワイナリーの歴史

もともとアヤラ家はスペイン貴族の家柄でした。

外交官であったエドモン デ アヤラ氏がパリに赴任し、シャンパーニュ地方でワイン造りを学び始めたのが、その歴史の始まりとされています。

1860年にエドモン氏は結婚、妻の資産にアイとマルイユ シュール アイの畑があったことを礎に、メゾンを設立しました。

1882年に設立された、グランドマルク組合の設立時のメンバーになりました。

グランドマルク組合は18の名門シャンパーニュブランドが集まった組合です。

しかし1990年代には経営が悪化、2000年にアヤラはジャン ジャック フレー グループに売却されました。

その後2005年にはボランジェグループの傘下に入りました。

ボランジェの名誉会長であるギスラン ド モンゴルフィエ氏が低迷していたアヤラを復活させたと言われています。

 

アヤラは2017年にはANAラウンジで提供されるシャンパーニュに選ばれ、日本でも評価の高いシャンパーニュです。

 

高品質ではありますが、日本にはほとんど輸入されていません。

シャンパンそのものは大変に上質なので、ワインショップで見かけたときは是非お試しください。