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ブルゴーニュワインの歴史|なぜ「ドメーヌのワイン」なのか?

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現在のブルゴーニュと呼ばれる場所にブドウ栽培が始まったことを示す資料は、あらゆる文献の中でも意外なほど日常的な文書に表れています。

 

それは、4世紀初頭の、歴史的には何の価値もない一通の嘆願書です。

 

コートドールの西にあるオータンの街のブドウ畑の所有者たちが、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世に届けた嘆願書に、

「この土地のブドウは質が低いので税率を下げてくれ」

と書かれてあったのです。

 

このような嘆願書は、歴史的に見れば価値はほとんどありません。

歴史として生き残る文書の大半は、権力のある人々が「書き残す価値がある」と判断したから残っているのであって、ブドウ畑のいち大家の泣き言が残っているというのは奇跡に近いでしょう。

 

その後に、皇帝シャルルマーニュ(カール大帝)が自身の所有するブドウ畑(コルトンの丘)を協会に進呈している資料はありますが、残念ながら細かいところまではわかっていません。

 

では、ここからどのようにしてブルゴーニュは現在の「世界の財産」となるワイン産地となるのでしょうか?

 

ブルゴーニュワインは、さまざまな主役が現れ、そして変遷していきます。

ここで現在までの流れを見てみましょう。

 

読み終わった後、きっとあなたは今夜、ブルゴーニュワインを飲みたくなるでしょう。

 

ブルゴーニュのドメーヌ一覧は、こちらをご覧ください。

 

ブルゴーニュワインの歴史

聖職者の時代

シトー派の修道院↑

私たちが知っているコートドール(ブルゴーニュワイン)の歴史は、910年のベネディクト派のクリュニー修道院の設立とともに始まります。

その後の500年間は、クリュニー会にとってはまさに一大権勢の時代を保ちます。

 

クリュニー会は、貴族たちが欲しいがままに自分たちの仕事(狩猟や饗宴、戦闘、略奪)をする”懺悔の部分”を担い、魂の救済をする対価としてブドウ畑を取得するのです。

現在のマコネに近い場所に本拠を置いていたクリュニー会はこのようにビジネスにも成功し、精神世界とともに実社会を支配します。

 

もっとも、派手で怠惰なイメージのあったクリュニー会の当時の権勢は1789年のフランス革命においてあっけなく終焉を迎えます。

クリュニー会のもつ財産は革命者から見れば堕落の権化とみなされ、革命によって国家に没収されるのです。

 

 

 

また一方、それらクリュニー会の流れに自律反発するシトー派は、さかのぼって1098年に本来の厳格で謙虚な勤労生活へ戻ろうと端を発します。

クリュニー会のビジネス的なブドウ栽培は、神に祈りをささげるという敬虔な仕事のイメージとはかけ離れていました。

当初はぶどう栽培と向き合っていたものの、いつしか土地と耕作人の管理という世俗的なもの(現在の悪徳不動産管理会社のような)となっていました。

しかしシトー派の修道僧は自らつらい農作業を行い、その研究に余念がなかったのです。

 

 

彼らはブドウ畑を小石や石垣(いまでいうクロ)で区画して、所有権を分けます。

そしてそれをさらに細分化しますが、その境界はワインの味わいを見て決めるのです。

これがクリマの原型です。

ここから、このころにはテロワールの発想がすでにできあがっていることがわかりますね。

 

 

この考えから、ブドウは土壌をそのまま伝える媒介者だという理論が生まれます。

余計なものをそぎ落とし、先鋭化されたブドウ品種を選び、それを単一で使うことで土壌の個性を際立たせます。

こうして選ばれたのがピノノワールシャルドネだったのです。

 

 

フランス革命

フランス革命のバスティーユ広場↑

1789年のフランス革命は、多くの根本的問題がその発端となります。

国家は事実上破たんしていましたし、その埋め合わせでアメリカ独立戦争への参戦も拍車をかけます。

国王ルイ16世には巨額の債務を減らす能力はなく、日々ばかげた宴を繰り返します。

そして無能で無自覚な絶対王政に対する民衆の不信感はついに爆発するのです。

 

 

革命によって多くのブドウ畑は国有財産となり競売にかけられますが、まだワイン生産者が直接所有権を得るまでにはなりません。

このとき、革命によって所有権を得たのはギロチンを免れた第2列の貴族たちや裕福な商人であったのです。

 

生産者からすれば支配者が変わっただけで自分たちの生活は変わりません。

現在のようなブドウ栽培者が所有者になるにはその後100年を待つことになるのです。

 

フィロキセラ

フィロキセラ(1863年~)はブドウの害虫として知られますが、特にブルゴーニュの被害は深刻でした。

シトー派によって先鋭化されたワインづくりは、単一のブドウ(ピノノワールシャルドネ)によって栽培することになるのですが、これが裏目に出るのです。

単一栽培であることにより、寄生虫からすればわかりやすい格好の食料原となってしまったのです。

 

 

ブルゴーニュの畑は壊滅的な打撃を受け、フランス農務省は1870年に根本的な解決策を提示した人に3万フランの金貨を与えるとの公示をしました。

しかしこれが1874年には30万フランに飛び上がります。

それだけ深刻だったのです。

 

最終的にはアメリカ産の台木の上にフランス産のブドウ木を接ぎ木することで解決をするのですが、壊滅的な被害にも唯一の光がありました。

経済主義に走っていたブルゴーニュの土地所有者たちは一気に収入のない状態に追い込まれ、土地の資産価値はゼロに近づきます。

そして裕福な商人階級の多くが夜逃げ同然でブドウ畑を放置します。

二束三文になったぶどう畑を最後まで見放さなかったのは、もちろんワイン生産者でした。

 

 

 

そうです、ここで初めてブドウ耕作者やワイン生産者が土地を買える時代となるのです。

 

 

 

ネゴシアンの時代

ブドウ栽培者が土地の所有権を得て、ようやくブルゴーニュの黄金時代か、となりそうですが、まだ現在の形には至りません。

ブドウ栽培者はブドウを造り、ワインを醸造することはできてもそれを売りさばくことができません。

そうなるとネゴシアンからすればブドウ栽培者は格好のビジネスパートナーです。

もちろん取り分はネゴシアンに極端に分配されますが・・・

 

 

この流れはしばらく続きます。

こうなると、大衆迎合的な”売れるワイン”が良しとするようになり、品質は二の次になります。

ワインづくりを一番知っているのはワイン生産者であるのに、ネゴシアンの意見によってワインは品質を押さえられてしまうのです。

品質がおさえられるならまだいいほうでしょう。

中にはどうせ消費者にはばれないだろうと酒質の悪いワインをブレンドしたり、最悪な場合、全く別のワインをブルゴーニュワインとして売り出していたのです。

 

 

「本当はもっといいワインを造りたい」

もともとシトー派の謙虚で先鋭化されたワイン造りのながれをくむブルゴーニュの生産者(ドメーヌ)は、ついに声をあげるのです。

 

なお、ここではブルゴーニュワインがドメーヌのワインとなった歴史を紹介するため、あえてネゴシアンを否定的に表現しています。

しかし、ネゴシアンは商人ですから売り上げや利益にこだわることは当たり前のことで、彼らは彼らの正義で動いているだけです。

また、もちろん中には品質にこだわり、誠実な商売をされているネゴシアンも多くいます。

また、ドメーヌとはいってもそのほとんどを外部に委託して、机上の理屈できれいごとを並べる生産者も少なからずいます。

面倒ではありますが、最終的にはボトルの一つ一つと向き合って判断するしかありません。

 

ドメーヌの時代

1930年に、当時有名であったワイン生産者のグージュ、ダンジェルヴィーユ、グリヴォの3社はネゴシアンによってワイン造りがコントロールされることに不信感を表します。

そして、それまでワイン販売をネゴシアンに任せきりだったことへの反省から、生産者自らマーケティングに携わることに着手したのです。

時代も味方しました。

ワイン消費者のすそ野もひろがり、大量消費型のコマーシャルワインよりも、より品質の高く個性的なワインを求めた世論も後押しをします。

1970年代には全生産量の5%がドメーヌ元詰めでしたが、現在は最低でもドメーヌ元詰めは80%にまで上昇しています。

ドメーヌ元詰めによって不正の根源は絶たれたのです。

 

これが消費者にとっても生産者にとってもベストな形

「ボトルの中身で勝負」

つまりドメーヌの時代になってくるのです。

 

そしてこの流れは現在まで続き、商業的なイメージのボルドーに対比する形で浸透されています。

(くわしくは、ボルドーワインの歴史をご覧ください)

 

評論家の時代

このようにして現代的なブルゴーニュワインのスタイルは出来上がりますが、その結果消費者はより品質の高いワインを求めるようになります。

そうなると、より分かりやすく有益な情報が不可欠です。

この流れに最も恩恵を受けたのがワイン評論家たちでしょう。

 

1950年代に入ると自家用車の普及でネゴシアンを通さずに買い付けるクライアントが増えてきます。

そして1970年代に入るとワインを飲む習慣は一部の社会的エリート層だけではなく、より広範囲になります。

 

消費者層が広がることで、「ブルゴーニュのワインを知りたい」「知識を得たい」という潜在的需要が生まれます。

そして消費者が「情報源が知識欲求に追い付いていないのでは」ということに気づくのに大した時間はかかりませんでした。

こうして評論家の時代は消費者に望まれる形で訪れるのです。

 

もちろん、評論家の台頭をよく思わない人もいます。

例えば、ワインアドヴォケイトで有名なロバートパーカーは最も有名な評論家の一人ですが、わかりやすく100点満点で点数をつけることで消費者の知的欲求にこたえています。

85点のワインよりも90点のワインのほうがおいしいだろうという単純明快な理屈ですが、これでは単純すぎますし、評価されるワイン生産者からすればいい気がしない人も人情として理解できます。

 

現在は評論家(マスコミ)が消費者側の一大勢力で、ドメーヌと評論家がしのぎを競っているといっていいでしょう。

 

 

 

ブルゴーニュのワインは、現在この位置です。

ドメーヌのワインを、評論家(マスコミ)が消費者とつないでいる、といえます。

 

 

 

次の時代は、消費者が自分の好みでワインを選べるようになる、というのが理想かもしれません。

しかしこれがいつになるのかはまさに歴史のみが知ることでしょう。

 

 

長い歴史をかけて、元々はお金持ちや貴族の手足となってワイン造りをしていた彼らは、所有者となることで本当の自由を手に入れます。

誰にも気兼ねなく、自由に、そして真剣にワイン造りに打ち込める環境を手に入れました。

そんな情熱家たちが造るのですから、ワインは悪かろうはずはありません。

 

 

こんどブルゴーニュワインを飲むときに、ぜひ

「今のこのグラスに注がれたブルゴーニュワインは、こうしてできているんだ」

と、その歴史に思いをはせてみてはいかがでしょうか。

 

きっとさらにワインがおいしくなるでしょう。


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