コントジョルジュドヴォギュエは、1450年にジャン・モワソン氏が最初の建物を建設した時から一族の以外の手に渡ったことが無いという由緒あるドメーヌです。
赤白ともに評価が高く、世界的に著名な評論家や専門誌がそのクオリティを絶賛するワインを生み出すワイナリーです。
所有する畑はなんとすべてがシャンボールミュジニーにあり、そのこだわりを感じます。
最初のコント(COMTE)というのは「伯爵」という意味で、その名のとおりジョルジュドヴォギュエ伯爵のドメーヌという意味です。
1925年といえば世界は大戦と終戦の混とんにあって、フランスも例外ではありません。
伯爵の立場からすれば当時低く見られていたワイン造りに乗り出すのは、よほどの思い入れがあったのだと想像できますね。
コント・ジョルジュ・ド・ヴォギュエ
純粋で先鋭化させたワイン造り
本拠地はフランス中央部ブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏にあるシャンボール・ミュジニーにあります。
1450年にジャン・モワソン氏が建物を建設したのがコント・ジョルジュ・ド・ヴォギュエの礎と言われています。
化学肥料は15年前より廃止し、農薬はリュットアンテグラルで対応、除草剤は2000年より全面廃止しています。
醸造責任者のフランソワ・ミエ氏、は自らを「ブドウが楽器だとしたら、自分は個性をひき出す指揮者」
と考えており、
「ヴィンテージ毎に性格の異なる収穫に普遍的な醸造は有り得ない」
と語っています。
これは、シトー派のブドウ栽培の理論である純粋で繊細、先鋭化させたワインづくりを承継しているということでしょう。
当たり前のことですが、ブドウはその年の天候や様々な条件によって影響を受けますので、栽培者の都合ではなく、ブドウに合わせてワインを造るということです。
ワイナリーの歴史
ドメーヌの歴史は1450年まで遡り、今のドメーヌ名となっているジョルジュ・ド・ヴォギュエ伯爵が継承したのは1925年と言われています。
1973年〜1988年には低迷した時期もありましたが、1987年より醸造責任者を務めているフランソワ・ミエ氏の実践した改革により復活を遂げました。
低迷の理由には様々語られますが、多くの評論家は一族の手以外に渡ったことがないため内部腐敗が原因との手厳しい意見もありました。
もし、内部の構造的問題が根幹にあったのだとすれば、現在の復活はまさに劇的と言えるでしょう。
その後は、高品質なワインを続々と誕生させ、揺るぎない品質を保つ、誰もが恋焦がれるワインを生みだすようになりました。
現在は、
栽培責任者のエリック・ブルゴーニュ氏
醸造責任者のフランソワ・ミエ氏
販売担当者のジャン・リュック・ペパン氏
という、通称ヴォギュエの三銃士によってドメーヌは運営されています。
つまり、ワインを栽培してよし、醸造してよし、売ってよしという完璧な布陣といえます。
ブルゴーニュで最も優美で洗練されたワインを生み出す地と言われるシャンボール・ミュジニーにおいて、最上級のドメーヌとして呼び声高いのが、コント・ジョルジュ・ド・ヴォギュエです。
あのパーカー氏が最高の5つ星とともに「私のベスト5に入る」と絶賛しています。