
オスピスドボーヌ(HOSPICES DE BEAUNE)は、もともと1443年にブルゴーニュ公国の財務長官であったニコラロランが、その妻のギゴーヌドサランからの要請で建てた慈善病院のことを指します。
現在はボーヌの街のシンボルとして医療機関としての機能はありませんが、設立当時は貧しい人に医療サービスを提供する慈善医院の形をとっていました。
慈善医院とはいえ、医者への給料や建物の維持費などの費用はかかりますので、オスピスの運営資金をどこかで賄わなければなりません。
その運営資金を賄うために、ニコラロランとギゴーヌドサランの夫妻は自身の所有するブドウ畑を寄進します。
これがいい話だと噂になり、見習った所有者のブドウ畑の寄進が続き、そこから造られたワインを競売する形で資金調達をしたのです。
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毎年11月第3日曜日の前後になると、普段はひっそりとしているボーヌの街が急に活気づいてきます。
それもそのはず、ブルゴーニュワインのビジネスの中心地といえるボーヌの街を中心に「栄光の三日間」と呼ばれるイベントが続けて開催されるのです。
そのイベントとは、
・クロドヴージョのシュヴァリエデュタストヴァン
・オスピスドボーヌの競売会
・ムルソーの昼餐会
ですが、このなかでも中心になるのは何といってもオスピスドボーヌの競売会なのです。
普通であれば「なんてすばらしい話なんだ!」となるでしょう。私も同じです。
しかし、ニコラロランはその地位を利用して私腹を肥やした悪代官ぶりは有名で、手放しで美談とするのは彼の思うつぼです。
つまり彼は自らの行った”富を得る代わりに犠牲を生んだ過去”を浄化したいとの思いで慈善医院を開設するのです。
当時から悪評の多かった彼は、ルイ11世から
「あれほど多くの人を貧乏にさせて搾り取っておきながら、彼からすればわずかばかりのお金で心の平和をいただこうとは、あつかましい」
といわれるほどでした。同業の貴族から言われるのですから相当なものだったのでしょう。
オスピスドボーヌを飲むときの一つの酒のつまみにどうぞ。
オスピスドボーヌ
11月第3日曜日の競売イベント
オスピスドボーヌのブドウ畑は約60ha ほどあり、毎年の11月第3日曜日にオスピス前の公会堂でオークションは行われます(以前はオスピスの中庭で開かれていた)。
ボーヌの街にとってはオスピスドボーヌの競売は一年で一番の繁忙期となり、世界各国からワインのバイヤーやネゴシアンがあつまり、お祭り騒ぎとなります。
飲食店や小売業者にすれば、クリスマスさながらの好景気に沸くことになります。
そしてこの競売価格はその年のブルゴーニュの価格の基準となるとされ、ワイン業界にとっても注目のイベントなのです。
1995年の競売会
オスピスドボーヌで忘れてはならないのが1995年の競売会での一幕でしょう。
いつもは世界中のワイン関係者で高揚した雰囲気がそこかしこにあふれているのですが、1995年はいつもの盛り上がりに欠けていたのです。
それというのも、地元の大手ネゴシアンであるパトリアルシェ社が直前になって競売を降りることを宣言したのです。
このパトリアルシェ社は、長年オスピスドボーヌの一番の競り手で、ここの社長のアンドレ・ボワソーが初値を付けるのが慣行となっていたのです。
しかし、アンドレ社長はそのころのオスピスドボーヌの運営に不満を持っていました。
すでにオスピスドボーヌの名声は世界のワイン業界に名が通っていたのですが、品質の面ではばらつきがあり、これを嘆いていたのです。
もともとオスピスドボーヌのワインは醸造と熟成を各ワイナリーがやっていて、中には酒造りが下手なところもあって、これがオスピスドボーヌの名声を落としていると考えてたのでした。
すでにオスピスドボーヌのチャリティは潤沢な予算があり、オスピス内に立派な醸造設備を設けているので、
「それであれば持ち寄ったブドウを一括してオスピスで醸造すればいいじゃないか」
と長年進言し続けていたのです。
するとオスピスドボーヌのワインを手掛けているワイナリーの中から反対意見がでて話がまとまりません。
すでに「オスピスドボーヌのワインを造っていること」が一つのステータスとなっていたため、これをおいそれと中央にとられてなるものか、となるのです。
これに業を煮やしたアンドレボワソー社長が「それなら降りる」となったのです。
実際に競売会は静かな雰囲気で始まり、大方の予想通りワインの値付けは高値を付けることはなく推移します。
1995年は世界的にも不景気が続き、ワイン界もいまいち盛り上がりに欠けていたのです。
「このままオークションは盛り上がらずに終わってしまうのか・・・」
だれもがそう思ったときに、一人の女性が登壇。途中で競売人は交代します。
現れたのはなんと当代フランスきっての美女、カトリーヌドヌーヴでした。
それまで静まり返っていた会場は火が付いたように活気づき、競り手の声が上がりだし、前年を割ることはなく無事に終了することとなるのです。
もちろんこれはオークション主催会社が事前に仕込んでいたことで、おそらく1995年のイベントが盛り上がらないだろうということを予想して大女優を引き連れたのでしょう。
これをめでたしめでたしと手放しで喜ぶか、あるいはまんまと策略にはめ込んだなと思うかはそれぞれでしょう。
オスピスドボーヌのコストパフォーマンス

これは仕方のないことなのですが、オスピスドボーヌのワインは品質に比べて価格が高く、本当にワインの価値がわかる人にはお勧めしづらい印象があるのは否めません。
その理由は、競売イベントは11月の第三日曜日で、これに合わせてワインを仕上げなくてはならないということです。
そうなるとアルコール発酵とマロラクティック発酵を終わらせ、競売イベントまでに樽で出荷できるように仕上げるためどうしても無理があることがあるのです。
また、競売で競り落とされたワインは樽のまま競落人に所有権が移りますが、競落人は樽のワインを瓶詰めすることができませんので、それをネゴシアンにそのまま引き渡して熟成をさせ瓶詰めをすることになります。
そうなるとネゴシアンのうまいへたが出てしまい、これがユーザーにとってはわかりにくく、要するにばらつきがあるのです。
もっとも、よくよく考えればイベントごとのワインなのでご祝儀相場が含まれていることは明白で、これにケチをつけるのは野暮というものでしょう。
その意味では飲む側のおおらかさが試されるワイン、といえるかもしれません。
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