イベントとワイン

パリスの審判|ワイン界激震のパラダイムシフト

1970年代、カリフォルニアのワイン業界はちょっとしたプチバブルでした。

それまで「ワインといえばフランスワイン。その他は亜流」というイメージだったところにブティックワイナリーと呼ばれるところが出てきたのです。

それらワイナリーは小規模ながらもクリエイティブで先鋭化されたワインを造りだしていて、これがサンフランシスコに住む高所得者層やワインスノッブと呼ばれるコアなファンの消費層を形成してきたのです。

 

これに乗じる形であっという間にブティックワイナリーは増え、すぐに200を超え1980年代には500を超すまでになるのです(質の低いところはすぐに淘汰された)。

これらのワイナリーをひとことでバブルの落とし子といえばその通りなのですが、とはいえ彼らには偏見もないし伝統国にある誇りや歴史のようなものもありません。

だから新しい試みだとか試行錯誤を恐れない姿勢をもち、フロンティアスピリットに富んでいて、これがマーケットに受け入れられたのです。

 

このようなカリフォルニアのワイン業界にとって、いや世界のワイン界にとって震撼する事件が起こります。

急激に品質を向上させたカリフォルニアワインが、実際にボルドーやブルゴーニュのワインと並列に戦わせたらどうなるかという試みをするのです。

それがワイン界の常識を覆した「パリスの審判」です。

時は1976年でした。

 

今回ご紹介する「パリスの審判」は、20世紀の最後のクオーターのはじめの年に起こるべくして起こります。
 
これは20世紀後半のワイン界において、市場の大革命を予告するのです。
 
栽培、醸造の技術は世界規模になり、流通の発達によってどこでも世界中のワインが楽しめることになります。
 
また、ワインジャーナリストの台頭によって、ワインはごく少数のエリートや文化人のための飲み物ではなくなり、より大衆的になります。
 
この変革はこれまでのワイン界にはなかったことで、マーケットのグローバリゼーションを起こし、これが生産面の大変動を惹起するのです。
 
パリスの審判は、まさにその初動の象徴でしょう。
 
ここでその全体像を見てみましょう。

 

 

パリスの審判/ the judgement of paris

本当の世界一はどのワインか

英国人スティーブンスパリュアは、パリで観光客が買えるワインショップがないことに目をつけてマドレーヌ寺院近くのワインショップCAVE DE MAGDLAINEを買い取ります。

そしてジョン・ウィンローと共同で英語で学べるワインスクールのアカデミーデュヴァンを開業します。

そのスパリュアがカリフォルニアのワインが急激に品質を上げていることを契機にし、そのうえでアメリカ独立200周年を記念してとある企画を打ち立てるのです。

 

その企画とは、ブラインドでカリフォルニアとフランスの一流のワインをテイスティングし、利き酒をして点数をつけ、公表しようというものでした。

 

スパリュアはカリフォルニアのワインの品質の向上をしっているからこそこの企画を考えたのですが、だからと言ってフランスワインの優勢には変わらないだろうと考えていました。

つまり「負けたとしてもいい勝負くらいはしてもらわないと困る」くらいに考えていたのでしょう。

 

一方で一般のワインファンでは、おおよそフランスワインが圧勝で、カリフォルニアワインなど相手にもしないだろう、というのが大方の予想だったのです。

 

審査員

企画は面白そうだとなりますが、そうなると重要なのが誰に審査員をやってもらうかでしょう。

企画に説得力を持たせるためにはそれなりの人を集めなければならないのは当然でしょう。

スパリュアはすでにワイン界では相当のコネクションを持っていて、頑張って当代一と呼ばれるワイン界の大御所を集めます。

 

それでは、審査員を見てみましょう。

 

ピエール・ブレジュー Pierre Brejoux :
AOC委員会の統括検査員

 

クロード・デュボワ・ミヨ Claude Dubois-Millot:
グルメ雑誌『ゴーエミヨ』誌

(ゴーエミヨはミシュランに次ぐグルメ雑誌で、20点満点方式でレストランを紹介。前衛的なレストランを保護する傾向にあります)

 

 

オデット・カーン Odette Kahn:
ワイン雑誌『ルヴュ・デュ・ヴァン・ド・フランス』誌の編集長

 

レイモン・オリヴィエ Raymond Oliver:
パリの三ツ星、ル・グラン・ヴェフールのオーナーシェフ

グランヴェフールは当時絶好調だったマキシムドパリとトゥールダルジャンとともにこの時代を支えた超高級料理店。本人はマスコミへの出演も多く、ガストロノミー界ではもっとも有名だった。

 

ジャン・クロード・ヴリナ Jean-Claude Vrinat :
パリの三ツ星、タイユヴァンのオーナー兼支配人。

1973年に三ツ星に昇格したばかりの絶好調のレストランの経営者。その後2006年まで三ツ星を保つ。

 

クリスチャン・ヴァネック Christian Vanneque:
パリの三ツ星ラ・トゥール・ダルジャンのシェフ・ソムリエ

 

 

ピエール・タリ Pierre Tari:
シャトー・ジスクールのオーナー。
ボルドー・グラン・クリュ協会事務局長

 

オーベール・ド・ヴィレーヌ Aubert de Villaine:
ご存知ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティの当主。

 

 

ミシェル・ドヴァズ Michel Dovaz :
アカデミー・デュ・ヴァンのフランス語講師

(パリのアカデミーデュヴァンは英語圏の人向けのワインスクールとして発足したため、フランス語講師は珍しかった)

 

以上はすべてフランス人の審査員です。

持ち点はワイン一つにつき一人20点で、満点だと180点ということになります。

 

さらにこれらに加えて以下の二名がオブザーバーとして加わります。

パトリシア ギャラヒャー(米国) :Patricia Gallagher
アカデミーデュヴァン

スティーブンスパリュア(英国) :Steven Spurrier

(この二人は主催者なのでテイスティングに参加はしますが審査の点数には含めない)

 

この審査員を見て、ほとんどの人はこれ以上の人を集めるのは難しいと思うでしょう。

ほぼ全員有名なのですが、特にクロードヴリナ、レイモンオリヴィエ、オーベールドヴィレーヌなどはそれこそガストロノミー界の中心にいる人です。

この人たちに憧れてワイン界に入った人も多いでしょう。

 

ところで、この審査員の面々をみて、「おや?」と思った人は勘が鋭い。
 
全員がフランス人で、フランスグルメ界の重鎮ばかりなのです。
 
それであれば
 
「フランスワインに審査が偏ってしまうのではないか?」
 
との推測がたつのが普通でしょう。

 

審査の仕方

では、実際にどのような具合に審査は進むのでしょうか?

まず、ルールは以下のとおりです。

 

赤ワイン白ワインをそれぞれ10本ずつ選ぶ

赤ワインカベルネソーヴィニヨン白ワインシャルドネのブドウ品種に限定する

・赤白それぞれにカリフォルニアワイン6本とフランスワイン4本とする

・すべてのワインはブラインドでテイスティングし、点数をつける

 

おおよそこのようなルールが決められていました。

 

次にタイムスケジュールは、①まずは白ワイン10種類のテイスティングを行い、②そののちに赤ワインのテイスティングを行い、③結果発表という予定でした(後ほど予定は変更する)。

 

ここで前述の審査員の不公平とともに、赤白それぞれのワインが6本と4本であることで、一つの仮説が立てられます。
 
それは
 
「そんなに厳格に公平を保たなくても勝負は最初から見えているんだからまあいいじゃないか」
 
という運営側のシナリオです。
 
つまり最初から対等に勝負させようという気はなく、フランスワインの勝利を信じて疑わなかったのでしょう。
 
要するにカリフォルニアワインを子ども扱いしていたのです。

 

実際にテイスティングの最中に審査員側に横綱相撲でもとっているような発言が聞こえ、審査員側もそこまで真剣にやっているようには感じません。

のちにここまでの大事になるとは思ってもいなかったため、独り言までは気にも留めていなかった、ともいえるでしょう。

 

審査員の心理状態

さあ、決戦の時が始まりました。

テイスティングは、まずは白ワイン10種類のブラインドテイスティングです。

ここで審査員の中からは

「さすがにこれはフランスワインだ」

「これは味が薄いからカリフォルニア産だろう」

などの声が漏れてきます。

 

ただし・・・おそらく審査員の心理状態にはこのような人もいたのではないでしょうか(特に醸造家のオーベール・ド・ヴィレーヌ)?

 

おや?どれもワインの完成度はたかいなあ・・・

カリフォルニア産ワインもフランスワインに引けを取っていないじゃないか。

これでは差がつかないではないか・・・

 

きっとこのようなことが頭をよぎったことでしょう。

 

そして、白ワインのテイスティングが終わり、赤ワインのテイスティングに移ります。

ここで点数がわかってしまうと赤ワインの審査に影響が出てしまうと考え、白と赤すべてのテイスティングが終わったら点数を発表する予定でした。

しかしハプニングがあり、赤ワインの提供が遅れ、間が持たなかった運営は白ワインの結果を発表するのです。

すると(カッコ内は点数)

 

なんと一位はカリフォルニア産のシャトーモンテリーナ。

二位にムルソーが入りますが三位、四位はカリフォルニアのワインだったのです。

これにざわついた審査員側は態度を一変させます。

そして会場に「こんなはずじゃない」「これは何かの間違いじゃないか」という空気が流れはじめるのです。

 

赤ワインの混沌

会場の異様な雰囲気は50年近くたった現在でも語り草となっています。

それまでのフランスワインの威厳が一気に猜疑心に包まれ、審査員の能力にさえ疑問が生まれ、権威というものが目の前で崩れ落ちる瞬間だったのです。

 

そうなると「赤はフランスのワインと思われるものに点数をあげよう」という空気が審査員に流れ始めます。

これで赤ワインがフランスワインの圧倒的勝利になれば

「白ワインはよく頑張ったけど、赤ワインはまだまだだな」ということでプライドも守られるでしょう。

そしてテイスティングの結果は以下のようになります。

 

何とこれもカリフォルニアのワイン、スタッグスリープが一位となってしまうのです。

 

当然、参加者全員が愕然とします。

そして驚くことに翌日のフランスのマスコミはこれを完全に黙殺するのです。

しかし、アメリカのタイム誌の記者が入り込んでいたのが幸いして大々的に取り上げ、ニュースは世界を駆け回ります。

こうなるといよいよフランスのマスメディアも蓋をしていられなくなり、そしてようやく紙面を飾るのです。

 

これがパリで行われたため、ギリシャ神話(パリスが女神の美貌争いの審判となり、美女を与えてくれると約束したアフロディーテを選ぶ)にならってパリスの審判と名付けられるのです。

 

なお、これは運営のフォローになってしまいますが、審査員としてもなかなか難しい役割であったと推測されます。
 
ソムリエコンテストであれば銘柄を当てることが役割なのでいいのですが、このようなテイスティングの場合は「良いワイン」に点数を与えることになるからです。
 
「良いワイン」はまさに人それぞれで、おそらく審査員側は途中から「何をもって点数をつければいいんだ」との葛藤があったことでしょう。
 
生産者側はこれこそが良いワインだと思ってリリースしますが、銘柄がふせられている以上その理論はわかりません。
 
ひょっとしたらボディは控えめで土壌の個性を出すことに努力したワインかもしれません。
 
ひょっとしたら環境的に恵まれていないため、その中でいかに凝縮したワインを造るかにフォーカスしたのかもしれません。
 
ただしこればかりはさすがに銘柄がわからないと判別することは不可能です。
 
そのため結局は「濃縮感があるワイン」「余韻の長いワイン」などのわかりやすいポイントに絞られて点数をつけざるを得なくなるのです。

後日のフランスメディア

いうまでもなく、この審査結果にフランスのメディアもワイン業界も非難を浴びせます。

フィガロ紙は「茶番劇」と、

モンド誌は「深刻になるべきことでもない」と結論付け、

そして、その結論までのプロセスのつじつまを合わせるべく主催者のスパリュアの手法に疑問を呈します。

そして喧々諤々の議論ののちに、ようやく一つの論点が浮かび上がるのです。

 

この選ばれたワインたちはすべて1970年から1974年の収穫となっている。

1976年のテイスティングだから、まだ熟成が足りないことが今回の結果の原因だ。

フランスの偉大なワインは飲み頃になるまで時間がかかる、一方でカリフォルニア産ワインは飲み頃が早い。

これではフランスにとって不公平ではないか。

 

の理屈です。

この理屈を聞いて、あなたはどう考えますでしょうか?

屁理屈?それとも苦し紛れ?それとも・・・

 

私は、この理屈は理論的には一応の筋は通っていて、ワインが若すぎて評価するのが難しいだろうと考えます。

しかし一方で、やはり負け惜しみというか、そういう感情論みたいなものも垣間見え、冷静さは感じられません。

 

なお、後年に熟成を経たワインを用い、再度同様のテイスティングを行ったところ、またカリフォルニア産ワインが勝った、というおまけがつきます。

また、1978年に英国の有名ワイン雑誌デカンター誌が同様のテイスティングを行ったところ、メドックの無名だったソシアンドマレとイタリアのサッシカイアが躍り出てこれも話題となります。

 

パリスの審判は何を物語るのか?

このパリスの審判は、ワイン界の大事件として知られていますが、では何を物語るのでしょうか?

 

テイスティングから50年近くたって、わかっていることは

 

・テイスティングで負けたフランスワインは、現在も栄光の座は渡していない

・流通価格でもこれらのフランス産ワインがカリフォルニア産ワインを下回っていない

・世界のワイン界の中心がボルドーやブルゴーニュであることに揺らぎはない

・中にはテイスティングの敗北に発奮し、逆に品質を挙げたフランスワインもある

 

ということでしょう。

 

しかし同時に、フランスで1855年につけられた格付けやブルゴーニュの制度などは、めやすとはなっても絶対的なものでもないということが世界中に浸透するのです。

他の国、ほかの地方のワインでも環境と技術、そして造る人の情熱によって本当に優秀なワインは造れるし、あきらめる理由はどこにもないということでしょう。

また一方で、フランスワインというお手本があったから肩を並べることができた、というのはそのとおりで、今度は追われる立場にもなった、ともいえます。

 

そしてパリスの審判によって、それまでは「なんとなくそういうものだろう」という価値基準だったところが、マーケット、つまりユーザーが主体で価値を決める時代に突入するのです。

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