
シャトーモンローズはジロンド県メドック地区サンテステフ村にある”バラの山”という名のシャトーです。
山というより丘という感じの傾斜地にあり、恵まれた土壌と伝統製法を守り抜くことで“サンテステフのラトゥール”とまで讃えられています。
元々モンローズは比較的安い価格で取引されていたのですが、1990年にロバートパーカーが100点満点をつけてから俄然注目され、逆に割高になっている感があります。
モンローズの素晴らしい点はしっかりとした骨格の成熟したタンニンです。
そのため長熟で、できれば10年以上はたってから飲みたいワインといえます。
ブドウ品種はカベルネソーヴィニヨンが65%、メルローが25%前後で毎年推移しています。
格付け2級、栽培面積70ヘクタール、生産量は27000ケースほど、セカンドラベルはダームドモンローズです。
シャトーモンローズ
バラ色の丘のワイン
モンローズはもともと、“ブドウ王”、ニコラ・アレクサンドル・セギュール(カロンセギュールの所有者)が所有していて、“エスカルジョン(カタツムリ)の荒野”と呼ばれていたのです。
ところがこのブドウ王がちょっとした訴訟沙汰に巻き込まれていて、その結果土地の一部を売りに出します。
そこを1778年、エチエンヌ・テオドール・デュムランがこの土地を購入し、小さなシャトーを立てます。
(日本の登記にあたる公的な手続きは1825年で、格付けの30年前です。)
石灰岩を好むカタツムリが多く生息するのは土地が荒れているということで、耕作には向かないとされています。
表層を覆うのは1m~2mもの砂利。
風が吹くと砂が巻き上げられるので、それを低減するために俗に言う、ヒース(ツツジ科エリカ属の植物)が一面に植えられていたのです。
アフリカ原産のヒースは300以上もの品種があるのですが、この地に植栽されていたものはバラ色の花を咲かせました。
その光景を冠してモンローズ。
カタツムリの荒野よりイメージもぐんとアップしていますね。
デュムランの息子の代になって、モンローズがブドウの栽培に適していることが判明。
水はけのよい砂利の下には石灰を含んだ粘土層があり、渇水時であってもからからになることはありません。
ミネラルも豊富な土壌でした。
おまけにジロンド川沿いの傾斜地でしたから、夏は涼しく、冬は川面の輻射熱で温かかったのです。
1815年、ブドウが植えられ、貯蔵庫が造られ、1825年には邸宅や風車も建設されてシャトーとしての体裁が整います。
サンテステフで最も品質の高いシャトーとされていたため1級のうわさもありましたが、歴史が浅かったためでしょうか、1855年の格付けでは第2級を余儀なくされます。
もともと6ヘクタールだった畑はこのころには100ヘクタールにもなります。
この間は30年足らずなのでよほどの快進撃といえるでしょう。
デュムランの死後、遺産は養子たちが継ぎますが、薄情にも相続のすぐ後にシャトーを売りに出します。
これを1866年、アルザス出身の工場経営者、マチュー・ドルヒュスがモンローズを購入するのです。
ドルヒュスはシャトー経営者として大変に堅実で、施設や製法、労働環境の改善にまで力を尽くしました。
フィロキセラの渦の時にはこの害虫との戦いに湯水のごとくお金を使い、当時掘った735フィートの深さの井戸は今でもシャトーの中心に残っています(画像↑)。
(もっとも、その時の英断は完全に忘れ去られ、現在は従業員からサンテステフのエッフェル塔だと茶化されています)
1887年、シャトー・コス・デストゥルネルやシャトー・ポミーのオーナーでもある、ジャン・オスタンの手に渡ります。
1896年には義理の息子、ルイ・シャルモリューが家紋をエチケットにデザインしました。
1969年からすべてのワインをシャトー元詰めとします。
2006年、建設大手のブイグ社が買収。
地熱システムやソーラー利用など、環境にも考慮しています。