
シャトーパプクレマン(CHATEAU PAPE CLEMENT)は、グラーヴ地区ペサック村に位置している格付けシャトーです。
AOCは赤、白ともペサックレオニャンで、ともに高い品質を誇りますが格付けされているのは赤ワインのみです。
赤ワイン用の作付け割合は、おおよそカルベネソーヴィニヨン50%、メルロー45%、プティ・ヴェルド3%、カベルネフラン2%。
32ヘクタールの栽培面積でシャトー全体でおおよそ年産13000ケースをリリースしています。
グラーヴの格付けシャトーとしては、オーブリオン、ミッションオーブリオンに次ぐ3番手争いというところでしょうか。
なお、あまり知られていませんがパプクレマンには白のパプクレマンブランがあり、これがまた最高の評価を受けています。
びっくりするのがここのシャトーは赤と白の両方で100点満点を取ったことがあって、これはボルドーひろしといえどもオーブリオンとパプクレマンくらいでしょう。
おおよそソーヴィニョンブランが40%、セミヨンが35%、のこりをソーヴィニョングリとミュスカデルで造っています。
グラーヴの白ではおそらくオーブリオンブランの次に位置していて、希少価値のためか、赤ワインよりも白のほうが高い価格で売られています。
もっとも、幻のワインなので、ワインショップで実際に見かけたらその日は相当の強運でしょう。
新装されたシャトーはグラーヴきっての美しさを誇り、シャトーはゲストハウスとして機能していることはもちろん、ホテルも宴会場も備えています。
↓の正面がシャトー、少し右をむいてまっすぐ進むと宴会場が見えてきます。
パプクレマン(PAPE CLEMENT)の名前は、14世紀ころのシャトーの所有者、ベルトラント・ゴートにちなみます。
ゴートがフランス人として教皇(パプ)となり、名前をクレメンス5世となったところからつけられているのです。
教皇(当時は大司教)はもともと町中の教会から馬ですぐに行けるような田舎に別荘を建てたがり、まずはこの場所を領有します。
司教は発展した考えの持ち主で、かつ酒好きの飲兵衛だったので、自分が飲むワインを造るための畑をその周囲に設けたのです。
これが現在のシャトーパプクレマンの前身です。
シャトーパプクレマン
グラーヴの格付けシャトー
パプクレマンのラベルは銀色のラインで縁をとり、朱色の紋章を中央においたシンプルなもので、ボルドーのシャトーのワインの中でも目を引くものです。
メルローの比率が高く、そのため酒質がゆったりしていて肉厚、穏やかでありながらしっかりとした品のある味わいです。
何度かこちらでご紹介をしていますが、グラーヴのシャトーは世界的な品質を誇りますが、日本でのワインファンの認知度はいまいちで、影が薄い感はどうしてもぬぐえません。
おそらく当サイトのユーザー様でも、グラーヴのワインは一部の格付けシャトー以外はどうやって向き合ったらいいのかわからない人も多いのではないでしょうか。
しかし、品質そのものは世界的に評価を受けているシャトーは多く、こちらのパプクレマンもボルドーはもちろん世界トップの品質を誇ります。
ところがグラーヴワインの認知度の低さが災いしてか、同じ程度の評価のメドックやサンテミリオンのシャトーに比べると価格は低く放置されたままなのです。
現在の日本のワインショップでの価格はおおよそ15000円~20000円程度で、現在最もお買い得な世界のプレミアムワインといっても過言ではありません。
何かのお祝いに、贅沢をしておいしいワインを飲もうというときに思い出してみてはいかがでしょうか。
消えたグラーヴのワイン?
では、なぜグラーヴのワインの価格がここまで放置されているのでしょうか?
これはグラーヴはもともと日常消費型ワインが多数派で、ネゴシアンが量産型のワインを大量に造って売り出していた時期があったことに端緒があります。
当初ネゴシアンはそれらの大量生産型のワインをグラーヴのAOCで売り出していたのですが、そのうち
「グラーヴのワインは安ワイン」
というイメージをマーケットが持ち始めるとネゴシアンは
「それならボルドーAOCで売ったらいいんじゃないか」
ことのなりゆきでこうなると一気に流れは傾きます。
早々とグラーヴAOCに見切りをつけたネゴシアンは、徐々にグラーヴのAOCからボルドーAOCとして市場に出荷するようになるのです。
これを酒造りの親爺さんがだまっているわけがなく、こんなんじゃやっていられないと行政に働きかけます。
1980年代からすでに独立したAOCの検討はされていたのですが、まずは優秀なシャトーが集中するぺサック村とレオニャン村に独自のAOCを認めようという流れになります。
しかし、そうなると優位性が失われると判断したのか、今度はメドックの酒商連中から待ったがかかります。
そしてこれらのいろいろな意見をまとめきれずに1989年に折衷案として、二つの村をあわせた「ペサックレオニャン」のAOCがうまれ、現在に至るのです。
シャトーの歴史

こちらのシャトーはボルドーでは最も古く由緒のある歴史を持つものの一つです。
由来は1300年ころに遡るので、日本では蒙古襲来のあった直後でしょう。
1303年、アナーニ事件が起こります。
かねてより対立していたローマ教皇、ボニファティウス8世がフランス王、フィリップ4世の家臣に幽閉され、憤死してしまったのです。
次に選出されたのはベネディクトゥス11世でしたが、即位のわずか8か月後には病死してしまいます。
アナーニ事件以来、教皇庁への圧力を強めたフィリップ4世の思惑どおり、1305年、フランス人のベルトラン・ド・ゴートが新教皇(パプ)に選出されます。
このベルトラン・ド・ゴートがグラーヴで領有していたのが現在このシャトーの前身で、のちにゴートは名をクレメンス(フランス語読みでクレマン)5世と改めます。
これが現在のパプクレマンの語源となるのです。
この教皇はアヴィニョンに移った後も南仏ワインの雄であるシャトーヌフデュパプの生みの親とされていますので、ワインに相当の縁のある人物でしょう。
畑は代々、大司教に受け継がれて名声を維持していったのですが、フランス革命に国庫により没収されてしまいます。
その後何度か所有者が変わり1858年、ワイン商、ジャン・バプティスト・クレールがシャトーを購入します。
ジャンはワインの品質改良に努め、ジロンド農業組合から金賞を贈られるまでにシャトーを育て上げました。
1878年のパリ万博では農務省大賞を授与されています。
ところがここからが災難続きだったのです。
英国出身のマクスウェル家の持ち物だった1930年に持ち主は破産、競売にかけられたのち、1937年に大規模な雹被害がボルドー一帯を襲い畑は壊滅状態に追いやられます。
このころはすっかり存在感の薄くなったシャトーと畑は都市計画のプロジェクトで危うく道路と商業施設になりそうなほどだったのです
救いの主となったのが1939年に新たなオーナーとなった農業技師、ポール・モンターニュで、彼の手によってシャトーは再生、復活を遂げます。
現在は革新的なワイン造りで知られる、ベルギー生まれのベルナール・マグレが運営に当たっています。
パプクレマンは、価格は放置されたままといっても15000円~20000円程度で、決して小さな金額ではありません。
そのため大金持ちでなければプレゼントや記念日に楽しみたい、というときのワインでしょう。
プレミアムワインの泣き所として、長期熟成型なので、できれば収穫から10年は待ちたいところです。
しかし経験した人はわかるかもしれませんが、頭ではわかっていてもこれがなかなか難しいのです。
早く飲みたい欲に勝ちきれずに若いプレミアムワインを開けてしまったという経験は、ワインファンであればだれでもあるでしょう。
我慢できない、待ちきれない場合はデカンタージュをして、10分ほどおいてからお飲みになってみてはいかがでしょうか。