ワイン用語集

フィロキセラとは?経緯とその克服

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フィロキセラ(PHYLLOXERA)は、北米大陸原産のワインの害虫で、ブドウネアブラムシと言います。

1㎜ほどの大きさで19世紀中ころにフランスに持ち込まれたといわれています。

持ち込まれた経緯に関しては諸説ありますが、コートデュローヌネゴシアンがアメリカから持ち込んだ台木に付着していたという説が有力です。

ブドウ樹の根や葉に寄生してブドウ樹を徐々に弱らせ、そして最終的には数年かけてブドウ樹を枯らせるのです。

 

ワイン史上、最大の困難であったことには間違いありません。

この小さな虫がブドウ栽培農家をはじめ、ワインにかかわるすべての人を絶望のふちに突き落とし、多くの人の人生を狂わせます。

では、フィロキセラはどのようにして出現し、そしてぶどう栽培者はどのようにして克服したのでしょうか。

ここでその全体的な流れを見てみましょう。

 

フィロキセラ

ブドウのペスト


フランスで奇妙なブドウの病気が流行りだしたのは南仏プロヴァンスのアルル(モンペリエの説も根強い)だといわれています。

葉は枯れて落ち、実も熟さないで落ちる、そして3年ほどかけてブドウそのものが枯れてしまうのです。

農家の人は、最初のうちは「未知の風土病だろう」「たまたま運が悪かったのだろう」と片づけていたのが、数年のうちに南フランス全土に広がるのです。

犯人はぶどうの根に寄生しているのですが、枯れたブドウ樹を掘り起こしてもすでに根から脱走しているので正体が何だかわかりません。

農民の不安はつのり、いつのころから「ブドウのペストだ」と大きく語られるようになります。

 

これは困ったということで学者たちが本格的に研究し、小さなダニのような昆虫を発見します。

根本的な解決法までは解明できないまでも、この小さな虫が犯人であることを突き止めることは容易でした。

そしてフィロキセラケルカスという同じような虫になぞらえて

「フィロキセラ・バスタトリクス」

という名前を付けます。

 

バスタトリクスは「略奪者」という意味です。

まさにブドウ樹をまるごと略奪し、もう得るものがないというところまで無邪気に食い散らかし、そして次の畑を略奪するのです。

 

フランス全土への被害拡大


学者たちが理論を交わしてぐずぐずしているうちにフィロキセラはついにワイン生産の本丸を攻撃します。

1876年にボルドー

1878年にムルソー

1882年にはヴォ―ヌロマネ

こうなるとフランス経済にも影響を与えるようになり、こまった農業協会はフィロキセラの根本的解決に2万フランを出すとの賞金をかけてその駆除に乗り出すのです。

懸賞金のおかげか、様々なアイデアが寄せられるのですが、根拠のないものばかりが目につきます。

賞金目当てのアイデアマンはどこにでもいて、中にはいい加減なアイデアもありました。

 

・ヒキガエルを地面に埋めることで被害を半減できる

・地面をたたいて虫を海へ追い落とせばいい

・うちの畑は満月の日に祈りをささげているから被害が少ない

 

などのアイデアが集まります。

 

そうこうするうちに研究者たちが一つの解決策を見出すのです。

 

 

 

対策は台木の接ぎ木


 

前述のようにフィロキセラは19世紀中ころにフランス本土に持ち込まれ、原因不明のブドウの不作をまねきます。

なんとなく小さなアブラムシが原因なんだろうということはわかりましたが、決定的な対策は見出せぬままフランス全土のブドウを食い尽くすのです。

当初は農薬や天敵虫も有効な対策とされていましたが、それでも解決しませんでした。

 

そこで、もともとアメリカ原産のブドウ樹に付着していたことがわかったことをきっかけに、アメリカ産の台木にフランス産のブドウ樹を接ぎ木することで決定的な解決策となるのです。

アメリカ産の台木はriparia,rupestris,berlandieriとされています。

 

アメリカ産の台木を使ってフランスワインを造ることに抵抗のあった生産者たちは、これに猛反発します(特にブルゴーニュの生産者は反発が顕著だった)。

被害を抑えるために編み出された手法に二硫化炭素の噴霧も効果があるとされますが、これは扱いが難しく、かつ高価なのです。

そのため当初は二硫化炭素派と接ぎ木派の激しい対立があり、議論が交わされます。

 

昔からいいワインはいいブドウから、という現在でも通用する理屈でブドウを造っていた生産者からすれば、接ぎ木の手段はある種の屈辱なのです。

ましてやワインが未発展のアメリカ産のぶどう台木ということであれば、どれほど受け入れがたいことなのかは想像は容易でしょう。

事実、1887年に事態の深刻さのために接ぎ木を余儀なくされるまで、ブルゴーニュでは接ぎ木を公的に禁止しているほどだったのです。

結局、ほかに対策がなく、二硫化炭素では根本的な解決にならないという半分あきらめによって接ぎ木派が多勢となり、フランス全土で接ぎ木をして克服をすることになるのです。

 

ちなみに、これはあまり知られていないことですが日本でもフィロキセラの被害は報告されていて、明治18年に三田ブドウ育種場で発見された資料が残っています。
 
もっとも、日本は当時欧米系のブドウ品種は少なくアメリカ系の品種が多かったので(例えばデラウエア)被害はほとんどなく、 最初のころはあっても気づかなかったのでしょう。
 
その後にヨーロッパのフィロキセラ被害を知った当時の農林省が大正14年に根本的な対策法を国に報告しています。
 
これなどは日本の官僚は当時から優秀であったことを示す資料といえるでしょう。

 

 

フランスの損失は戦争一回分?


今でこそワインの知識の一つとして過去形となったフィロキセラですが、当時のフランスはフィロキセラといえばそれだけでおじけづく言葉で、悪夢のようなイメージだったのです。

当時から潤沢な資金があったロマネコンティでは、大型の注射器で二硫化炭素を根の周りに注ぎ込むことでどうにかしのぎ切りましたが、第二次世界大戦の人手不足でそれも潰えます。

 

フィロキセラの猛威がどれほどのものか、不謹慎ではありますがよく戦争一回分の損失とたとえられます。

フランスがフィロキセラによって被った損害は普仏戦争(1870~1871)に匹敵するほどと言われているのです。

 

接ぎ木には莫大な費用がかかりますし、一度新しくブドウを植樹するとワインができるまで最低でも5年はかかりますから、当時の生産者の絶望が想像できます。

事実、この困難を乗り切れずに没落するワイナリーは多く、これによって新たなブドウ畑の所有者が現れるのです(ブルゴーニュワインの歴史をご覧ください)。

 

フィロキセラ前とフィロキセラ後

生産者側のフィロキセラがとんでもないやつだということはわかったかもしれませんが、では飲む側としてはどうでしょうか。

ワインファンとして気になるのはアメリカ産の台木で接ぎ木をしたブドウから本流のフランスワインに仕上がっているのか?でしょう。

もちろんすでにフィロキセラ以前のワインは残っていませんし、残っていたとしても現在のワインと比べることは難しいでしょう。

 

しかし、例えばDRCのように有り余る資金をもつ世界で最も頑固といわれる生産者は、1945年まで二硫化炭素の手法で接ぎ木をしないぶどう樹からワインを造っていたのです。

そのためロマネコンティでフィロキセラ前とフィロキセラ後を比較する評論家は多くいます。

多くの専門家やテイスターの意見としては、接ぎ木の前と後では味わいに大きな変化は見られないし、すでに数十年も前のことだから、一つの史実としてしまっておいてはいかがだろうかというのが多勢です。

19世紀後半と現在のワイン醸造や栽培の技術が同じわけがないですし、考えるだけ野暮なことだろう、ということでしょうか。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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