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パイパーエドシック シャンパーニュとは?その特徴と歴史

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パイパー・エドシックは、シャンパーニュ地方モンターニュ・ド・ランスに本拠地を置く歴史あるワイナリーです。

1785年に、フローレンス=ルイ・エドシックによって創業されました。

エドシックは、「王妃にふさわしいキュベェを造る」というコンセプトで研究に励み、実際に当時のフランス王妃だった、マリ・アントワネットへ献上されました。

 

このメゾンは派手なラベルとマーケティング戦略が奏功したため、どうしても中身や歴史が見落とされがちで、損をしているきらいがあります。

しかし味わいは派手ではなくむしろ堅実なつくりで、じっくりと味わいたいシャンパーニュなのです。

さらに後述する歴史の決定的な瞬間に関係したワインとして、できればワインファンならずとも一目置いていただきたいシャンパーニュとしてお勧めします。

 

現在の同社の年間売り上げは約700万本、そのうちの25%はアメリカ向けの輸出です。

これは後述する経営者クンケルマンの実績がものを言っています。

ワインナリーの設備は現代醸造の技術を総動員したもので、ステンレススチールタンクと並び、ルミュアージュも全自動化されています。

ジロパレット↑といって504本入りの大箱をゆする姿は圧巻で、普通であれば3か月はかかるところを1週間でやってのけるのです。


 

ちなみに、パイパーエドシックをパイパーといっているうちはあまりシャンパン通とは認められません。
 
パイパーはフランス語読みで”ピペ”といい、フレンチレストランやホテルのソムリエではピペで通ります。
 
もし、ソムリエと話す機会があれば思い切って「ピペのシャンパンが好き」といってみましょう。
 
きっと「ずいぶんとこのお客様はワインのことを知っておられる」と思われるに違いありません。
 
それが好待遇につながるか、敬遠されるかは置いておいて・・・。

 

パイパーエドシック

革命前の献上ワイン

シャンパンにくわしい人であれば、瀟洒な宮廷らしき一室で、うやうやしくシャンパンが高貴な女性にささげられている絵を目にしたことがあるかもしれません。

かわいらしい絵ではありますが、目を凝らすといろいろなことがわかってきます。

 

よく見るとこの絵のワインはピペ社の当時の極上品、フローレンス・ルイなのです。

そして美女はマリーアントワネット。

場所はヴェルサイユのプチトリアンノン、時は1789年5月6日、つまり民衆の怒りが爆発するフランス革命前夜なのです。

 

膨れ上がる国家の債務を減らす能力はなく、債務のつけを民衆に押し付け、日々馬鹿げた宴会を繰り返す王宮。

献上する紳士は革命前夜に何を思い、シャンパンを注ぐのでしょう。

 

ピペのシャンパーニュをお飲みの時は、思い出してみてはいかがでしょうか。

 

 

 

名門中の名門メゾン

パイパー・エドシックのワインには、ピノ・ノワール、ピノ・ムニエ、シャルドネといった種類のブドウが使われます。

造られているワインの中で最も有名なものはスタンダードクラスの「パイパー・エドシック・ブリュット」でしょう。

美しいこがね色、リンゴや洋ナシ、シトラスなどを思わせる複雑な香り、フレッシュな果実味といった特徴を持っています。

同社が誕生して以来、伝統的な製法と品質をまもりつつ、最新の技術との融合が試みられています。

現在では、カンヌ国際映画祭公式シャンパンとしても認定されるなど世界で大きな存在感を放っています。

 

ピペのシャンパンは大手の中でも最も色合いが薄く、軽いタイプになります。

泡立ちもそう強くはないので、飲む人からすれば肩透かしをくうかもしれません。

そのためこのシャンパンを高く評価しない人は少なくありませんが、肩入れをすることになりますがそれは誤解です。

これはこういうスタイルで、料理と合わせると自然とこうなるとの考えからあえて仕上げているのです。

 

ワイナリーの歴史

エドシックの創業者のフローレンス=ルイ・エドシックの三人の甥のうち、クリスチャンが1835年に独立してエドシックの名前でシャンパーニュを売り出します。

ところがクリスチャンは事業発足わずか8か月後に死亡し、その未亡人(またか!)がクリスチャンの三人のアシスタントの助けを受けて事業を続けます。

 

そのうちことの成り行きで1837年にアシスタントのうちの一人のアンリ・ギローヌ・ピペ(パイパー)と未亡人は再婚、会社名をアンリ・ピペとします。

しかし、もともとエドシックの名前でシャンパンを売っていたので自然とピペ・エドシックとなり、知られるようになるのです。

 

アシスタントの一人、クンケルマンはアメリカにわたって腰を落ち着け、アメリカでの販路拡大に貢献します。

1850年にギローヌ・ピペが死ぬと今度はフランスにもどり事業を譲り受け、社名こそクンケルマンにしますがピペエドシックのブランドはそのまま現在まで使われることになるのです。

 

クンケルマンは社業を順調に拡大させ、娘に継ぐ形で引退しますが、その娘がスアルツ・ダウラン侯爵(Suarez d’Aulan)と結婚するのです。

第二次世界大戦の英雄だったダウランは1944年に死亡しますが、その息子のフランソワダウランが事業を引き継ぎ、社長を務めるのです。

 

現在では、EPIグループの傘下として代表のセシル・ボンフォード、セラー・マスターのレジス・カミュが協力してワインの製造を行っています。

レジス・カミュは、8度もスパークリング・ワイン・オブ・ザ・イヤーを獲得した実力派で、スパークリングワインの醸造においては世界でもトップクラスの腕を持っています。