現在のワインの流通は、当たり前ですがガラスの瓶(壜)が主流になります。
そして壜での流通前は樽が主流でした。
ただし樽で流通させた頃のワインはいいとこ1年くらいしか持たないし、しかも途中からワインはすえてしまって味がおかしくなってしまいます。
その意味では、瓶が流通する前までは、ワインは熟成させるタイプの酒ではなく、いわゆる一年物のお酒だったのです。
ワイン造りをどれだけ頑張っても、肝心のガラス瓶がなければ中身どころではありません。
樽しかない時代を想像しますと、ガラス瓶の発達はワイン界においてはワインの中身以上に大事だったということがわかるでしょう。
もっとも、ガラス瓶だけが発達しても、それを密封するコルクがなければ現在のワインの形はありません。
自然の流れで現在のようなガラス瓶+コルク栓のかたちになりましたが、では、どのような経緯で使われるようになったのでしょうか?
ここで、ワインにガラス瓶やコルクが使われるようになった歴史と、その背景を見てみましょう。
今回は有名ワインの華やかな歴史に比べると何とも地味な歴史の紹介になります。
もっとも、今日飲もうとしているワインも、実際には瓶やコルクの歴史があって今があるわけですので、できれば最後までお付き合いください。
Contents
ワインとガラス瓶、コルク
樽での輸送・保存
樽の歴史はながく、古代のアンフォラに代わって使われたのは、木の樽でした。
もっとも、初期のころは樽の大きさも形も一定ではありませんし、密閉度も決して高くはありませんでした。
そうなるとことの流れで樽職人が出現し、そのうちに樽材も吟味されてきます。
すると樽職人は「どうやら樫の木がいいらしい」ということに気づき、さらに内側を硫黄で焦がすことで消毒にもなるということを発見します。
樽の時代は長いこと続きますが、とはいえ樽社会では、いざワインを買っても樽では収納するための場所が必要です。
そうなると一般の民家ではおけないし、ワインを購入できるのは樽を置いておけるスペースのある一握りの特権階級の人に限られていたのです。
(これがワインが貴族的な発展をする要因となっています)
そうはいっても、自宅に樽を置けない人だってワインは飲みたいものですから、そうなると酒屋か居酒屋に行って飲むか、小売をしてくれるところで分けてもらうしかありません。
樽は、ワインの貯蔵という意味ではいいのですが、流通、消費ということとなるとこれが折り合いがわるく、致命的な欠陥があるのです。
それは酸素を木樽にある無数の穴から少しずつ通してしまうことと、大きな容量のため飲み干すまでには時間がかかり、その経過中に劣化してしまうことです。
当時の金持ちがワインを樽で買って自宅で飲もうとすると、ワインを樽から出すたびに上部には空気が入り込み、そのためワインと酸素が触れてしまいます。
こうなるとワインはいいとこ1か月もすれば完全に劣化して別物になってしまいます。
これを誤魔化すためにスパイスや蜂蜜を入れて何とかしてやり過ごしますが、これらは高いので一般の人はできません。
飲兵衛の執念はすさまじく、それでも飲みたいからと我慢して質の悪くなったワインを仕方なく飲んでいたのです。
そのためこのころは古酒よりも新酒のほうが高く、価値があったのです。
ガラス瓶の登場
それではこまるからと、何か他の貯蔵手段はないかというところに登場するのがガラス瓶です。
ガラス自体は紀元前2000年ころからあって、古代ローマ時代にはガラス瓶のようなものを作る技術はあったという資料が残っています。
(イタリアではその後にガラス文化が栄えてヴェネツィアングラスになる)
ただし当初は、ガラスは職人が作るもので、それらのガラス製品は観賞用が多く、職人が一つ一つ細工をして作るものだったのです。
そのようななか、英国は熱心にガラスの製造業を発展させます。
そして、もっぱら貴族社会の観賞用だったガラス製品を流通に用いようとこころみ、そして大量生産を成功させるのです。
1600年代、原材料の珪砂は山ほどあるので、あとはいかに安く、いかに大量に作るかが最大のテーマだったのでしたが、これをやってのけたのでした。
苦労をして作り上げたガラス瓶は世間にあっという間に受け入れられます。
最初のころは木材燃料を用いましたが、あまりにも多くの森林が伐採されるので当時のジェームス1世がガラス製造に木材を使うことを禁止するほどだったのです。
そこで考案されたのが石炭燃料でした。
製造過程で石炭燃料に変えたところ、木材燃料よりも温度が高く、それがかえって大量生産に都合がよく、さらにガラス瓶は世に浸透するのです。
(のちにドイツでボヘミアングラスが栄えたのもここが石炭地帯だったからといわれています)
瓶の形
では、世の中にガラス瓶が浸透したころのものとは、どのようなものだったのでしょうか?
↑の画像はちょうど1600年代のころのものです。
瓶は容器の部分は丸く、首の部分は長いたまねぎ形でした。
色も透明なものは造る技術がなく自然と黒くなったものを使っていましたが、これがかえってワインの貯蔵には向いていたのです(ワインは直射日光に弱い)。
そのうちに玉ねぎ型では流通させづらいし、デザイン的にもあれなんでということで現在のような円筒型でそこにくぼみのある形が考案されました。
また、瓶の口の部分にでっぱりがありますが、これはもともとは瓶をひもで括り付けるために考案したのですが、これがのちにコルクをしめても大丈夫な強度を保つことになるのです。
コルク栓の普及
当初のころはガラス瓶はあってもコルクがなかったので、油をしみこませた麻布か蠟で木栓を密閉して突っ込んでいたのです。
しかしこれでは流通に耐えられないし、空気も入り放題だということでいつのころからかコルク栓が用いられるようになるのです。
ポルトガルやスペインで採れるコルク樫の樹皮をいつ頃から栓に使うようになったのかは、歴史的にはっきりしていません。
ただし、シェークスピアの「お気に召すまま」のなかに、ロザリンドが
「あなたの口からコルクを抜いてください」
との一節があるので、少なくともこれが書かれた1600年前後にはコルク栓があったということになります。
コルクスクリューの開発
樽、ガラス瓶、コルクときて、どうしても避けて通れないものがあります。
コルクを抜くにはコルクスクリューが必要なのです(いまでいうソムリエナイフ)。
ただし残念なことに歴史的にコルクスクリューをいつ、だれが発明したかはわかっていません。
1723年ころの唄にコルク栓の発明を讃えるものがあるのですが、その作者でさえも分からないと嘆いている資料があるのです。
ただし、前述のように1600年ころには「コルクを抜く」という発想があったのだから、そのころが起源だと考えるのが普通でしょう。
瓶熟成の起源はポートワイン?
ところで、ワインの歴史上、ガラス瓶に閉じ込めて瓶熟成させて楽しむということを考案したのはポートワインが始まりだといわれています。
そのためポートワインの産地ではうやうやしくコルクを抜く文化が発達し、パンスアポルトといって熱々に熱した鉄の道具が開発されるのです。
コルク栓は長い熟成でもろくなり、そうなるとコルクスクリューで開けるのが困難なので、これを何とかしようと開発されたのでしょう。
パンスアポルトは鉄でできたわっかのような道具で、これを火で熱します↑。
そして壜の口につけてその部分だけを一気に熱し、そして濡れた布を当てて急激な温度差を生じさせ、瓶の口を割るのです。
実際に私も何回かやったことがあるのですが、やり方さえ間違わなければ誰でもできるものです(ただし安全には注意)。
よく「焼き切る」と表現されますが誤解で、冷えたグラスに熱湯を注ぐと割れることがありますが、あれとおなじ理屈です。
熱によって局地的に急激に膨張し、それが冷やされることでひずみができてぴきっと割れるのです。
断面は見事に真っ二つになっていて、ガラス片なども全くありません。
スクリューキャップの登場
現在、コルクとワインは切っても切り離せない関係ではありますが、ここにきてその関係に変化がみられています。
コルクは自然物なので、コルク樫の樹皮を使いますが、これを一度はがすとこれを元通りにするのに10年はかかります。
つまり生産には限度があるし、使い続ければ環境破壊にもつながるのです。
また、やや難しくなりますが、コルクは実際に栓をするときに塩素系の薬品で殺菌をするのですが、このときにTCAという物質を生成することがあり、これがワインに決定的なダメージを与えるのです。
これらの問題に真正面から取り組んだのはオーストラリアで、努力の結果スクリューキャップが一番いいという結論になったのです。
スクリューキャップは便利で密閉性にがありますが、同時に高級なイメージに乏しく、これが貴族的な発展をした伝統的な生産国には拒否反応があったのです。
そのため現在ではオーストラリアやニュージーランドなどの国のワインの低価格のものはほとんどがスクリューキャップで、フランス・イタリアなどの伝統国ではやっと使いはじめたかというところでしょう。
(有名なドメーヌでも採用しているところはあります)
アンフォラからはじまり樽が生まれて、そして瓶の出現で樽は貯蔵用の裏方に回ります。
コルクスクリューの発明でいよいよワインは一般消費者までの流通に耐えられるようになり、そしてスクリューキャップの出現で日常的存在になることができたのです。
本来ワインの飲まれ方は、貴族的なイメージとは裏腹にもっと庶民的で日常的なものです。
ここまでは徐々に大衆的な普及を目指して発展してきたところが、ここにきて「すこし大衆的すぎじゃないか」とスクリューキャップに待ったをかけているのかもしれません。