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ボルドーワインの歴史|現在までの流れをざっくり解説

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ボルドーは、疑う余地のない世界最上のワイン産地で、ブルゴーニュと並び最も偉大で高名な地域でしょう。

ワイン用のブドウ栽培の歴史は、資料に残っている最古のものとして紀元前3世ころのブルディガラ(ラテン語でボルドーの意味)でのブドウ栽培です。

どうやらその品種は現在のカベルネ種の先祖であったらしい、ということがわかっているのです。

 

ボルドーワインのイメージは、おそらくワインを少し勉強した人であれば

・広大

・閉鎖的

・商業主義

の三つをあげられるかもしれません。パッと見るとややネガティブにとらえる人もいるかもしれないですね。

しかし、これらはけっして間違ったイメージではなく、ボルドーワインの歴史を見ることで納得できる人も多いのではないでしょうか。

(ただし閉鎖的というのはワイン界全体に言えることでもあります)

ここでは、ボルドーワインの歴史を、できる限りわかりやすく、全体の流れがわかるように、要点をつかんで紹介します。

 

ボルドーのシャトー一覧は、こちらをご覧ください→

 

ボルドーワインの歴史

イギリスとの交流

ボルドーは歴史的にイギリス領になったりフランス領になったりの時代が12世紀からしばらく続きます。

これは1152年、アキテーヌ公領の相続人であるエレオノールがイギリスのプランタジネット朝初代ヘンリ2世と結婚したことによって、イギリス国王の領地となることが始まりです。

早くからワイン産地として名をはせたボルドーは、これによりイギリスへのワインの輸出に拍車がかかるのです。

歴史的には領主の変更により翻弄されているかのように映りますが、ワイン業界にとっては商売がうまくいけばそれでいいので大した反発もなかったようです。

 

すでにイギリス国内では確固とした人気を誇るボルドーワインですから、領主の変更とともに生産が先細ってはイギリス国民の反感を買ってしまいます。

そのためイギリス領となったボルドーのワイン商には、ある種の税の免除や種種の特権が与えられるのです。

立地的にも海運流通の拠点(ハブ港)として活躍し、これが決定的にボルドーを商業の街として押し上げます。

もっとも、このころのボルドーワインは、私たちの知っているボルドーワインとは全く形が違い、明るくロゼ色のクラレットと呼ばれるものでした。

 

現在のボルドースタイルの確立

16~17世紀、イギリスの商人の勢いが後退する(フランスとの領土戦争の影響)なかで、徐々に影響力を持ち始めたのがオランダ商人でした。

このころに商業開発されたアルコール蒸留によって人気化したスピリッツのために大量の白ワインが必要になったのです(蒸留の技術そのものはもっと以前からあった)。

オランダ商人はぶどう栽培まで触手をし、蒸留酒用の畑を白ワインブライエ、アントルドゥメール、シャラントと地方に足を延ばし、そしてボルドー市に拠点を持ちます。

そして、赤ワインのためのブドウは、もっぱらボルドー市の周囲の湿地帯や現在のグラーヴの小石の多い場所に見出します。

 

このころの記録に

1533年にオランダ商人のジャンドポンタックがオーブリオンにワイン醸造所をひらき

1540年に義理の兄弟でやはりオランダ商人のアルノードスレナックがラミッションオーブリオンを開いた

ことがわかっています。

 

オーブリオンは、17世紀には現在のようなボルドーワインのスタイルを確立し、色が濃く、ボディーのある味わいがあったとされています。

それまでのクラレットの水っぽい味わいに飽きていたマーケットにおおいに受け、あっという間にイギリスで人気化し、ワイン市場のトップに躍り出るのです。

 

メドックの開拓


現在の花形であるメドックは、ブドウ栽培地域としての歴史は比較的遅く、もともと荒涼とした湿地帯で、ボルドー市からも遠いうえに交通手段もままならないため取り残されていました。

しかし、17世紀にオランダ商人が目を付け、干拓を行いブドウの樹を植えたのが始まりとされています。

資料によると、

現在のシャトーマルゴーの砂利の多い土地を1570年にピエールドレストナックが取得し

現在のシャトーラトゥールやシャトーラフィットロートシルトなどが続いた

ことがわかっています。

 

このようにメドックのワインは遅咲きであったのですが、マルゴーラトゥール、ラフィットの三つは17世紀半ばには現在と同様のトップの名声を得るまでになります。

ただし、決定的にメドックはグラーヴよりも下流にあるため、流通の中心であるボルドー市まで運ぶのに不便で、しばらくの間はグラーヴの陰に隠れていたのです。

 

空前の好景気

18世紀、ボルドーは未曽有の好景気を迎えます。

17世紀後半に開かれた西インド諸島(現在のドミニカ共和国とハイチ)との交易が18世紀に全面的に開花するのです。

このころの貿易台帳を見ると、砂糖、コーヒー、ワインが主な交易品目であったことがわかります。

そして奴隷も。

ボルドーはフランス商人にとっては奴隷貿易の拠点としてナントとともに栄えます。

商業都市としての大成功の流れに乗ったのがボルドーワインなのです。

 

メドックではすでに名声を得たワインに続き、ブドウ樹の植樹が進みます。

このころにはすでに以前の明るいロゼ色のクラレットではなく、色が濃く味わいも重厚なニュークラレットと呼ばれたものが人気を博すようになります。

これが現在のボルドースタイルの原型でしょう。

 

ブドウ樹の植樹は主に法律家や貴族出身の地方政治家、準貴族などによってはじまります。

ボルドー市は18世紀までは周囲を城壁で覆われた中世風のたたずまいだったのですが、好景気によってその外観を大きく変えるのです。

 

フランス革命後のボルドー

フランス革命時のバスティーユ広場↑

1789年のフランス革命によって、カトリック教会や貴族、宮廷政治家の所有地は没収され、その財産はいったん革命臨時国家の国有財産となります。

そして競売にかけられた結果、新たな土地所有者が生まれます。

もともとボルドーは海運流通のかなめとして注目されていたので、商業的な理由でなじみのあった銀行家や商人が新所有者となるのです。

 

商人である彼らの目的はボルドーワインで一儲けしてやろうという野心でしょう。

しかし同時に経済界のトップにはすでにワインに関する豊富な知識があり、

「ボルドーのシャトーを有している」

というブランドメリットもあったのです。

商業的なメリットと共に知的満足感も得られるとあって、経済人がボルドーのシャトーオーナーになるという流れはこのころに確立するのです。

もっとも、彼らは経営者なので、
 
「小さくてもいいから品質のいいシャトー運営をしよう」
 
なんて思うことはありません。
 
どんどん畑を開拓し、面積を広げるのです。これがボルドーワインの広大さの一因となっています。

 

19世紀末まで続いた黄金時代には巨大な資金がボルドーに流入し、現在の”商人のブドウ園”というイメージが定着します。

これは対峙するブルゴーニュワインのスタイル「ドメーヌ(ワイン生産者)のワイン」との対局に位置し、現在も続くこととなるのです。

ボルドーワインの経営トップの写真はほとんどが仕立ての良いスーツを着ているのに対して、ブルゴーニュのドメーヌのトップはスーツ姿ではなく、普通の作業服のことが多いのは、この辺りに端緒があるのかもしれません。

そしてボルドーワインの好景気は、1855年のパリ万国博覧会での格付けの制定でクライマックスを迎えます。

なお、このように対比を説明しますと、
 
「なんだ、ボルドーはビジネスライクでブルゴーニュは職人気質なんだ。ブルゴーニュのほうが応援しやすいなあ」
 
となるかもしれません。
 
しかし、それぞれのシャトーが仮にビジネスライクなワイナリーであったとしても、商売だけではとてもボルドーワインの品質を保つことはできません。
 
品質を高く保ちながら大量に生産するのは、ブルゴーニュのドメーヌとは別の労力があるのです。

 

灰色の時代

19世紀末まで続いたボルドーの黄金時代は、世界経済の低迷とともにあっけなく終焉を迎えます。

巨大な規模を誇るボルドーワインは、常に世界経済の循環の影響をうけるのです。

フィロキセラによるブドウ畑の減少にはじまり、病害などの影響による不良なヴィンテージの連続はボルドーのワイナリーを疲弊させます。

さらに20世紀になると二つの世界大戦と1930年代の世界大恐慌でボルドーは壊滅的な被害を受けるのです。

また、アメリカの禁酒法、ロシア革命、シャトー経営の不振によるワインの信頼性の失墜とともに、ボルドーは徐々に衰弱し、資金の流入は完全にストップします。

このころにシャトーオーブリオンはついに売りに出され、アメリカの銀行家であるディロン家に買収されます。

この流れに経済的にひっ迫したシャトーの売り出しは続き、中には荒れ放題になったシャトーを二束三文で売りに出すところも出てくるのです。

(逆に、この時代に売りに出されたシャトーを購入した新所有者の手によって新興シャトーが生まれ、のちのカルトワインの流れに続きます)
こうなるとシャトーのオーナーたちは、安定した売り上げを望むためにネゴシアンに長期的な契約を結ぶようになります。

ネゴシアンはシャトーから大量のワインを仲買し、ワイナリーを名目上助ける代わりに大幅な値下げ交渉と癒着を成功させます。

つまり、これによって品質の低下と閉鎖性がうまれ、ボルドーワインはマーケットの信頼を失うのです。

 

第二次世界大戦がおわり、状況は少しずつ改善していきますが、19世紀までのボルドーの黄金期には到底及びません。

1974年のオイルショックの波に直撃され市場は暴落し、ネゴシアンは1972年と1973年のヴィンテージのストックを大量に抱えざるを得なくなります。

(そのため現在でも1972年と73年ヴィンテージは比較的見つけやすい)

おそらくこの時がボルドーワインの最も厳しい時代だったのかもしれません。

1973年のムートン。ピカソのエチケットです↑

 

伝説の1982年

ボルドーのヴィンテージチャートで1982年は伝説のように語られます。

1982年は1970年以来のグレートヴィンテージで、成功はソーテルヌ以外のボルドー全域に及びました。

品質においても価格においても世界中のワインファンを納得させ、ボルドーは息を吹き返します。

 

(アメリカのワイン評論家のロバートパーカーが100点満点法を引っさげて華々しくデビューしたのも1982年です)

ボルドーワインは1982年ヴィンテージによって国際舞台に復帰し、再び資金が流入し始めるようになります。

ボルドーの上昇気流はその後のすばらしい天候にもあとおしされ、

1983、1985、1986,1988、1989,1990

と続きます。

これによって各生産者は設備投資に資金を回し現代的な醸造システムと栽培法を取り入れることに成功するのです。

 

~現在

1982年のヴィンテージを端緒に復活ののろしを上げたボルドーワインですが、そうなると俄然存在感を増すのが投資家たちです。

ぞろぞろとボルドーに戻ってきた投資家たちは資金を投じ、ボルドーは19世紀の黄金時代の再来となります。

・アクサミレジム(シャトーピションロングヴィル、シャトースデュイロー、プティヴイラージュ)

・GMF(シャトーベイシュベル、ボーモン)

・クレディアグリコール(シャトーグランピュイデュカス、メイネイ、ド・レーヌヴィニョー)

・コロニーキャピタル(シャトーラスコンブ

・サントリー(シャトーラグランジュ

などが知られています。

 

 

現在の世界的な好景気が再度の黄金期を招いていることは、5大シャトーの価格の高騰をみても明らかでしょう。

しかし経済は必ず循環がありますので、またいつどこかで不況が訪れるかはわかりません。

その時にどのような流れとなるか?こういう目線で見ることができれば、またボルドーワインを深く味わえるでしょう。

 

さて、一番最初に、ボルドーワインのイメージを

・広大

・閉鎖的

・商業主義

として三つあげました。

なぜそのようなイメージがあるのか、ここまでお読みいただいたあなたにはきっとご理解いただけたかと思います。

近いうちにボルドーワインをお飲みの際に、紆余曲折があったボルドーワインの歴史を思い返してみてはいかがでしょうか。

きっとそれまでのボルドーワインとはまた違った味わいも楽しめることを、お約束します。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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